卑弥呼は神武か?
今日はW杯決勝だから早めにね。
もし、神武即位の紀元前660年が、実は180年だった場合、中国からみた日本の歴史と照らし合わせてみます。
神武は即位する7年前に戦に出かけています。俗に言う「神武東征」ですな。これは即位するまで続く、と。
では、180年の7年前、つまり173年~180年は、中国書ではどう書かれているか、というと、146年~189年の「倭国大乱」の真っ只中ということになり、戦争中であることは符合します。
神武が実は67(127-60=67)才で崩御したとして、180年(庚申)が即位ではなく「生まれた年」だったとしたら、67才というのは247年になります。そして247年とは、卑弥呼が亡くなった年に一致します。
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まぁ、異論・反論あるでしょうが、僕の中ではもう完全に「間違いない」レベルに達しましたね。
神武天皇は卑弥呼だ!(断言!)
では神武が卑弥呼であるという前提で、あらためて「神武東征」を考えてみます。
「古事記」によると、神武は兄とともに、日向の高千穂で「どうすれば地上を治められるか」と相談し、東へ行くことにした。日向を出発して筑紫へ向かい、 宇沙(現宇佐市)に仮宮を作ったのち、岡田宮で1年過ごし阿岐国で7年、吉備国の高島宮で8年過ごした・・・となっています。
つまり出発は日向高千穂なわけですが、てことは、これが卑弥呼だったとすると(ちなみに卑弥呼には兄ではなく弟がいたことになってます)、すでにそこは「邪馬台国」だったことになります。
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ちな みに書いておきますと、西暦180年頃というのは、日本史では仲哀天皇の時代にあたり、仲哀天皇は若くして急死した為(200年)、妃の神功皇后が仕切っ てた時代です。なので、卑弥呼=神功皇后という説は有名なようです。この説と共通するのは、それ以前の歴史が捏造だ、という点です。
さて、次なる課題は、神武が東征に旅立った「日向高千穂」はどこだったか!?てことです。
結論から言っておきます。
都城です!
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Comment
鉄板鍋の心喜(ちりとり鍋専門店)
2010/07/12 08:57
日向高千穂が都城(゜ロ゜;私が知っている日向や高千穂は?(?_?)