万次ジュゼッペの苦悩(1)
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最終更新日:2017/08/27
nobel
万次ジュゼッペは31歳のミュージシャン。昨年、地元富山の高岡市では30歳の記念ライブを行い、キャパシティ80をマンタンにする活躍ぶりだった。満を持してリリースしたCD「頂を戴け!」は初回プレス50枚があっという間に残り16枚となり、自信を深めた。
万次はやはり東京を夢見ていた。15で尾崎に触発されギターを手にして以降、書きなぐった曲は優に60曲を超えたが、25歳の節目の時に35曲を捨てた。「通用しない」と思ったのだ。大学卒業後、就職した厨房機器メーカーもその時に辞めた。活動しやすいフリーターを選んだのだ。それ以来、地元富山は満遍なく、隣接した石川、岐阜、長野、新潟はもちろん、遠く関西や福岡、そして東京へも進出するようになった。
東京に腰を据えたい…。機は熟した。行こう!大東京へ!
プロになる、と決めて約10年、食えない地元で活動してきた万次は、大切な音楽仲間たちのツテを辿り、四谷にある天扉というキャパ30ほどの小さいハコにレギュラー出演できることになった。
山手線一本で行ける板橋に家賃35,000円の破格アパートを借り、日々練習とプロモーションに明け暮れ、引っ越し業者のバイトも見つけた。それもこれも仲間がいてこそだった。
実際、万次の曲は秀逸だったし、とにかく歌唱力はずば抜けていた。彼をリードヴォーカルに迎えたいバンドは、地元高岡だけでなく近隣の県にもいたほどだ。
だが万次は弾き語りに拘った。自分の作品に込めた独特のリズム感は、複数の人間でやるには少々難があったのだ。
ほどなく、初出演の日がやってきた。この日のメインは徳川コーセーというやはり弾き語りストで、万次はオープニングアクトだった。徳川コーセーは恰幅がよく見たところ50前後で、肩までの長髪に口髭も顎髭もたくわえたシブそうな人だった。
客入れ前のステージでサウンドチェックを終え、コーセーのリハを聞いた時に度肝を抜かれた。サッチモかと思うようなしゃがれた声から、繊細で都会的なコードを使ったギターに、圧倒されたのだ。
もちろん、これまでも素晴らしいミュージシャンは見てきた。地元にもいたし、関西にも福岡にもいた。だが徳川コーセーは圧倒的だった。心を芯から揺らす感動と、急激になくなっていく自信が交錯したが、もうすぐ自分の出番なのだ、気合を入れなければ…。
これだけのミュージシャンなんだ、さぞ大勢の客が来るのだろう。自分でも7枚のチケットをさばいた(音楽仲間3人と同窓生3人、そして元カノ…)し、とにかく自分の歌をきいてもらうんだ!
開場時間はすでに10分過ぎたが、客はまだ3人しか入ってない。これからなんだろう、と再度チューニングを確認した。そして開演時間となった。結局自分が売ったチケットの7人は誰も来なかったのだが、とにかく万次の演奏開始時には6~8人ほどはいた。
あれこれ考えるんじゃない、とにかく誠心誠意歌うのだ。万次はあらん限りの情熱をぶつけた。
一曲目を歌い終えると、ほんの1、2秒だったが、えらく長く感じた時間の後、おそらく15人はいたであろう拍手が舞い起こった。しかも長かった。
「ありがとうございます、ありがとうございます!」何度言ってもいい、と思ったが2回で止めた。
結局5曲を歌い、アンコールこそ起きなかったが客は盛大に拍手を送った。
ステージは徳川コーセーに移った。万次はまだ楽屋で打ち震えていた。キャパ半分とはいえ、大東京の、しかも見知らぬ人たちが拍手をくれたのだ。
「イケる・・・やれる!」万次は確信した。そしてもっともっと頑張ろう、と固く誓った後、客席に行き徳川コーセーのステージを見ることにした。
やはり半分の15人か・・・いや18人くらいにはなっている。やはりほとんどの人がコーセーを見に来たのだな、と思ったが、とにかくステージに目を向けた。
リハーサルで聞いたあの衝撃そのままに、彼はアンコールを含め約60分歌い続けた。もちろんあいだに入るMCもさすがだった。時節のネタをうまく使い、時には爆笑を誘い、時には感嘆の声すらかっさらう。なんといってもコード選択がありえないほど、そして憎らしいほど素敵すぎるのだ。そしてしゃがれた声が不釣り合いなメロディと相まって、万次は陶酔していた。同時に「なんでこれだけの人が、こんなちいさいハコなんだろう?」という素朴な疑問もよぎったのだが、それはすぐ飲み込んだ。
ふと他の客を見ると、やはり曲にも酒にもいい感じで酔えている若いOLやロマンスグレーの紳士、3人組らしきホワイトカラーや音楽をやっていそうな若者、とくに目立って多いのが熟女…というか美魔女的な女性客。とにかくみんな酔っている、歌に。万次の時をはるかに凌ぐ大きく長い拍手で幕を閉じた。
余韻に浸っている暇はない、物販をせねば。美魔女軍団の何人かが買ってくれた。酔ったサラリーマンも買ってくれた。合計4枚も売れた。
間違ってなかった。よし、俺はこの大東京でやっていく!帰り支度を済ませて一服していた。
「万次・・・だったな。」徳川コーセーが声をかけてきた。
「あ、はい、今日はありがとうございました。そしてお疲れさまでした。素晴らしかったです!」と、素直にお世辞など一切入れずに言った。
「そうかい。いっぱいどうだ?」コーセーの誘いを断る理由などなかったし、むしろあれこれ聞きたくてしょうがなかったので二つ返事でOKした。
「田舎はどこだ?」
「高岡です・・・あ、富山の。」
「おお、 男岩、女岩の!」
「え、よくご存じで」
「あぁ何度か行ったな、もう10年以上前」
万次はコーセーの奢りのホッピーを二口で飲み干してしまった。
「ははは、威勢がいいな。店長、もういっぱい頼むわ」
歌詞の事、コードの事、MCの事や生い立ち、これまで、万次は気づけば自分が「家ついていっていいですか」のリポーター状態になっていることにハッと気づいた。
「あ、すみません、根掘り葉掘り…」
「いいよ、ぜんぜん。でも肝心なトコ聞けてないんじゃないの?」
「え?」
しばらくの沈黙の後、コーセーはこういった。
「なんで売れてないの?って…」
「あ…いや…」
核心を突かれ過ぎてどう対処していいかわからなかった。
「単に需要の問題だよ。」
「需要…?」
「そう。野菜だってさ、いっくら優れた野菜を安く売ったって、溢れていたら買ってもらえないじゃん。今は、俺レベルの唄うたいは溢れているのさ。」
「そんな…」
「自信は持ってるよ。歌も。ギターも。曲だっていい作品だと思ってるよ。でも売り手が多すぎるからね。完璧な買い手市場だろ、今。」
「はぁ…」
わかるようなわからないような、万次は自分が何を聞きたいのか、混乱し始めていた。
「お前、いいスジしてると思うよ。たぶん歌もギターも結構なレベルだよ。曲もよかったな、なんつったっけ…あのレイニーなんとか…」
混乱の中にあって、曲を聴いてもらえていたことの嬉しさが少し。
「あとはアレだな。“味”・・・かな。」
「味・・・ですか。」
「うん、オレですらまだそこはまだまだなんだけど…。」
「が、頑張ります。」
「いや、そこは頑張らなくてもいい。それはこれから苦労した分だけ勝手についてくるよ。」
「はぁ…」
「それに“味”がついたからって売れるわけじゃねえしな。」
混乱に拍車がかかった。
「じゃあどうすれば…」
「今日お前の歌を聴いた客は、お前がいいアーティストだということを知った。だから来週少なくともあの1割は来てくれるかもしれない。ま、それからだ。またお前とブッキングされることがあったら飲もう。」
徳川コーセーとはそれ以降会う機会はなかった。
引っ越し業のバイトはかなりキツかった。思った以上に体力を消耗するし、上司も人使いが荒かった。だが所詮バイト。気にはならなかった。
翌週の出番の日が来た。この日の出演は3組で、店長は万次を二番手にしていた。一人目は澤村れのという20才のエレキ女子。トリは柏木ケンという、万次が地元で一度会っている人物だった。年はたしか40半ばの、柏木の唄は武骨なブルースで、当時「こんなんアリなんだな~」と思ったのを万次は思い出していた。
それよりも澤村れのには驚いた。見た目は派手なのだが綺麗な顔立ちをしていてあどけなさが残り、甘ったるいしゃべり声が憎めない感じなのだが、とにかくエクスプローラーのギターをかき鳴らし出すと、まるで人が変わったようにシャウトしまくるのだ。
万次や柏木ではなく、明らかに澤村れのを見に来たという客で席は既に埋まっていた。先週来れなかった万次の同窓生と元カノも来ていた。
澤村のステージが始まった。椎名林檎の「罪と罰」を彷彿させたかと思えば声がいわゆるアニメ声っぽく、しかしどこか切なさのある瞬間と、時折雄たけびのように叫ぶミスマッチとでも言おうか、とにかく話題に事欠かない感じだった。
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