なんでわざわざ市街地を活性しなきゃいかんの?って話
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最終更新日:2014/04/05
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昨日の記事が割りと反響あったので、関連記事をば。
以前「都城の顔とは?」という記事で、中心市街地活性化意見交換会について書いたんですが、その中で「活性化する必要があるのか?」という意見があったんです。彼曰く、「ほのぼのしてていいんじゃないか」と。彼にとっては、別に「都会にならなくていい」、「田舎のままでいい」ということのようでした。
そもそも何故、市街地を活性しなければいけないか、をわかってない人は意外と多いんです。ボクも色々付き合いがありますが、公務員や議員さんですらわかってないケースは多々あります。「寂しいから」とかではけっしてありませんよ。
実は今日の記事については、これまでいくつかの場所で、あるいは何人かに話したことのある意見なのですが、あらためて書いていこうと思います。
最大の理由はいわゆる「都市機能」にあります。ある町をわかりやすく円で描きますが、外側から「森林・田畑・工場など」、「住宅地」、「市街地」を表してみます。
例えば家族で暮らしている住宅や、複数の人間が働くオフィスや店舗でも、利便性を追求すると機能的なものは中心にあるべきなのはおわかりだと思います。町も同じで、このような構図がもっとも無駄がなく人の集える状況にあるわけです。
ボクが小学生の頃には、大丸・壽屋・中村デパートと3つの百貨店がありましたが、1973年に大店法が成立すると橘百貨店(76年から旭化成サービス)が駅前に、ダイエーが栄町に進出し、徐々に都市機能の分散化が始まります。以後約20年にわたり5店の百貨店がしのぎを削ることになるわけです。付け加えておくと2003年にイオンショッピングセンター、2009年にダイエーが現イオンモール都城駅前店となります。
必然的に郊外に進出した新店舗の周囲は利便性が追求され、新興住宅地が開発され、これまた必然的にインフラが整備され、さらに必然的に小規模店舗やオフィスの郊外進出化が進みます。さらにそれに影響されて同じサイクルの開発、進出が繰り返されていくわけです。
インフラの整備は多大な血税を使うだけでなく、環境も破壊していくわけですが、高度経済成長の終焉を実感していない市民はまったくそれに気がつくことなく、分散化は進んでしまうわけです。
郊外に進出した大型店は、固定資産税が安いというメリットがあり、これは同時に市の税収減を意味しているので、出費は増えるわ収入は減るわの、「破産」の始まりだったと言えます。
さらに自動車社会が進み、郊外の大駐車場を構える店舗の方が人気が高まり、中心市街地への「行く理由」がどんどん無くなっていく訳ですね。
この表は22年後の都城市の人口、生産年齢の人口、国の債務を予想したものです。予想といってもまぁほぼこうなるのは間違いないと思われますが、注目は「生産年齢」の激減です。生産年齢とは言い換えると労働人口のことで、つまり稼げる年齢の人口ということです。稼げる年齢は大幅に減るのに、高齢者はほぼ同じなんです。
つまりここでも、収入は減るのに支出が増える構図が見えるわけです。もはや消費税の増税だけではまったく足りない状況です。
中心市街地が都市機能を取り戻せないと、都城市は廃墟になります。そういう理由から活性化が必要なわけです。
中心市街地が、そこにに「行く理由」を失って久しいわけですが、理由としてはやはり「買い物」が大きく、飲食を含めた「消費活動」に勝る理由を作るのは並大抵ではないでしょう。ハートシティ都城を中心に、商工会議所や都城市などが進めている旧大丸跡地の開発は、単に「消費活動の場」を作るだけでは郊外店舗に勝てません。
中心市街地に着く前にほとんどの買い物は途中で済ますことができてしまうわけですから、分散しようのない魅力的な理由が必要になってきます。映画館や図書館、美術館は集中すべきでしょうし、大病院や役所(特に住民票や証明書関係の発行部署)、さらに大駐車場、多目的の広場・ホール(といっても1000や2000キャパではダメだし、イベントのブッキングのプロが必要)、とあげたらキリがないわけですが、それでもうまくいくとは限らないのが現実でしょう。おいうちをかけるようですが、都城志布志道路が全線開通すると、10号線の交通量は半減すると言われています。必然的に寂しさに拍車がかかるでしょう。
現在の中心市街地におられる方々は、自己のことだけでなく、都城市民全体の責任を背負っていると言っても過言ではないわけです。もちろん日々語り合い、悩み、気苦労も多いことだと思います。ですが、これまでのようにありきたりのことを考えるだけではまったく意味が無いと思います。人がビックリするようなことを考えていかないと、もうどうしようもないところまで来ているのです。
私たちは市街地に住んでいませんが、やはり中心部の活性化は悲願であり、なんとかしたいという思いが強いからこそ、家庭や仕事を犠牲にしても、何かをしようとしています。しかしながらなかなか市街地の皆さんと一致協力、ということが実現できません。これまでも幾度となく話し合いはもたれていますが、個人的な事情に我々は踏み込めませんから、「のれんに腕押し」「糠に釘」を続けているような気になってしまい、一人一人脱落していくんだと思います。
ホントになんとかしないと・・・。
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