【悲報】公平に扱われていない児童たち
年の瀬ですが時間が少し空いたし、前から書きたかったので。
先日、連続で共通した話題を別々の形で聞いた。
まずひとつは、小学生の子を持つ父である友人から、クラブ活動の実態を聞いた。彼の子は市内でも最大級の児童数を誇り、教育にも熱心な学校にいる。必然的にその校区に引っ越してくる公務員や教師が多くなっているのだそうだ。
多くの児童がいればどのクラブ活動もレギュラー争いは必至、と言いたい所だが、小・中学校のクラブ活動・部活動は本来義務教育の一環であり、勝利至上主義であってはならない。どの児童にも公平に練習はもちろん、試合出場の機会は与えられるべきなのだ。
とはいえ、自分の子がレギュラーで活躍し、大会で好成績を収め、全国へまっしぐら、ともなればそういう思考は迷惑だろう。なので見てみぬフリをするわけだが、一方で万年補欠の子を持つ親も余計?な波風を立てたくなかったり、「ひがみやっかみ」と取られたくないので、これまた主張をしない。かくして税金の偏重使途は見過ごされていく。
しかし、件の学校はこの実力主義ですらないのだ。いわゆる「モンスターペアレント」の子が優先されているのだ。公務員や教師なら、顧問や運営への攻撃ポイントは心得ているし弁も立つだろう。
そもそも私立でもない限り、部活動の顧問は素人である場合がほとんどで、その競技の専門家ではない。そういった環境もあってか、親に対して言いなりになっているケースがあるのかもしれない。これは由々しき事態だ。
もうひとつは、逆に過疎に向かっている学校の話。言うまでもなく最盛期からすると激減してしまった児童数のために、いまやクラスはひとつしかなく、その一つですら10~20人しかいない状態なのだが、当然クラブ活動は成立しづらく、試合や大会などは縁遠いものになってしまっている。
一時は全国大会に行くほどのレベルを誇った吹奏楽部は、多額の税金を投入して楽器を買い揃えたのだという。ところが児童数の減少に伴い、それらは倉庫で眠ったままになっているのだそうだ。
サッカーやソフトボールはもちろん、かつて存在した活動のための部室や道具は、その活躍の機会を半永久的に失ってしまっているのだ。
小中学校のような義務教育は、税金によって運営されている以上、全国のどこの児童・生徒ともに、公平にその教育機会を享受できなければならない。
「地域格差」と片付けられているが、実際はかなり深刻だ。中心部では次世代の若きスターたちが輩出される一方で、田舎ではその素質がありながらみすみす埋もれさせている現実を、親や教師、行政や地域民も「ひとごと」としか思っていない。
手はある。言うまでもなく統廃合だ。たとえばこの話の地域には3つの小学校があり、それぞれ全校生徒が110人、171人、100人の計381人いて、合わせればほぼどんな活動も成立しうるレベルになる。
統廃合の場合、通学時間が増える、といった課題があるが、これは通学バス等を導入し(統廃合により予算は賄える)、そのバスの中で「朝自習」や「通信朝礼」などを行えば帳尻を合わせられる。
また、通学バスのルート上の空き家をリノベーションし、いくつかの拠点を作る。お年寄りの溜り場として、それを児童センターのような機能を持たせ、バス停にするのだ。
3つの学校が一つになるのだから、運営費用や教職員経費などかなりの金額が浮くはずだし、高齢者対策、空き家対策も兼ねられるとなれば、地域のまちづくりにも大いに貢献できる。
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