尽くしてくれる人
予想以上でも予想以下でもなかった参院選。バカ正直に今回も投票に行った。
そのたびにやれやれ、と意味のなさを痛感し、気が付けば半世紀。選挙権を得てから32年。
国民の声、とか国民の意思、とかいうけど、ろくにモノを知らんのが入れた票で何が「声」だ?と・・・。
なら行かなきゃいいのに。権利であって義務じゃない。行かなかったからといって黙っていれば誰にもわからない。
そう行かなきゃいいのに。
なぜ行くのだろう?バカバカしい・・・と、終わった後は思うのに、いつも近づくと得体の知れない期待感を持つのだ。
実は人間、そんなに捨てたモンじゃないのかもしれない・・・と思ってしまうのだ。
今日も危うくフェイスブックで論争をしてしまうところだった。いや本来は論争は嫌いでない。それなりに知識もあるつもりだし、まぁ負けることはありえない。
ただその相手を負かしたところで、なんになる?と自問してアホくさくなってやめた。
改憲を推進して何が悪い?増税、TPP、安保を支持して何が悪い?と叫ぶ。
若い人にリテラシーがないとは思わない。今の大人よりずいぶんマシだろう。
だけど、リテラシーと同時に必要なのは、「人間」という生き物が、5手先、6手先にどうなっていくか、これだけはやっぱりわからないのかも知れない。
年をとるっていうのは、ただ単に無駄に過ごしてきたわけじゃない。
たくさんの人を騙し、騙され、たくさんの人を裏切り、裏切られ、たくさんの人を傷付け、傷つけられ、数え切れない悔し涙、嬉し涙、悲しい涙を流し、そんな中で「人間」という生き物を観察してきたのだ。裕福や貧困を経験し、罪を犯したり善行をしたり、無謀なことをしたり臆病になったり、病気に悩まされたり親しい人を亡くしたり、汗水たらして働いたり怠けたり・・・。
もっとも、いい年をした大人ですら、利己的な理由でしか投票しない。
政党政治を否定するつもりはない。だけど偏向すると議論が尽くされないのだ。
議論は「尽くされる」べきなのだ。そして「尽くしてくれる人を選ぶ」のが選挙なのだ。
本来、「尽くしてくれる人」は、日夜勉強をし、分析をし、そして議論をしていかなければならない。だから報酬は多くてもいいと思う。
でも現実は違う。「尽くしてくれるはずの人」は、その理想にかけ離れた人が多い。
そして「尽くしてくれる人を選ぶ人」も、たいていはろくに候補者を検証したりはしない。
つまり「選挙」も「議会」も機能していないのだ。
そんな議会に何を期待して、選挙に行くのだろう。もういい加減、次からちゃんと考えよう。
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