BOØWY
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最終更新日:2018/04/24
アーティストの記憶
かつてBOØWYというバンドがいて、僕はデビューアルバムを高校生の頃に初めて聞いた。当時レンタルレコードが田舎でもポツポツ出来ていて、有料で借りるという新しい概念が気に入り、経営者がきれいなお姉さんだったこともあり、借りまくっていたのだが、その中に「MORAL」があった。
正直言うと、日本語パンク的なのはあまり…というのが第一印象で、唯一「NO.NY」だけがキャッチーで頭に残った程度だった。翌年レンタルレコード屋のお姉さんが二枚目出たよ、というので『INSTANT LOVE』も聞いたのだが、こんなに変身するものか、というくらいパンク色は減り、いわゆる実験的というか、新しい気もしたが、やはり好みではないな、というのが当時の印象だった。
僕も社会人になり、メタル畑のバンドは続けていたが、久しぶりに「3枚目が出て、今度は凄いいいよ」とお姉さんから連絡がきた。僕は乗り気でなかったけども、お姉さんが相変わらずきれいだったので、いわゆるエエカッコして借りた。
当時世の中にはCDというのが出現し始めていたのだけど、まだ『BOØWY』はアナログしか出ていなかったし、そもそも僕はCDの再生機を持っていなかった。
だがこのアルバムは完全に僕の胸を貫き、全曲をコピーするに至った。レンタルレコードは基本、借りてきてカセットテープにダビングして聞くのだが、聞きすぎで安物のテープは擦り切れ、再度借りに行ったほどだった。
だが、これほど変身するバンドなら、次ではいろんな意味で裏切られるかもしれない、という一抹の不安はあった。その後彼らは3枚のアルバムを発表して88年に解散するが、そのどれもが1枚目路線、2枚目路線、3枚目路線を満遍なくといったイメージだった。おそらくそれが解散の最大の原因なのかもな、と僕は勝手に思っている。
複数の人間が集まり、全員が同じ感覚で同じ変遷を遂げるはずはなく、ズレが生じていくのは至極当たり前のことだ。1、2、3枚目の方向性がこうも違うバンドならなおさらだ。
『BOØWY』で国民的なバンドになった彼らは、その路線を維持することを強要されたのかもしれない。『ホンキー・トンキー・クレイジー』は最高61位になり、出資しているレコード会社や所属事務所からすれば、そうしてもらいたいのはいたしかたないところだ。
2枚目が出たときに純粋なパンクファンは減り、そのかわり数倍のファンを獲得しただろうし、3枚目が出たときにも一定のファンを失った代わりに数10倍のファンを増やしていったのは疑う余地がない。BOØWYそのものの存在のファンにとっては音楽性の変化など関係ないのだろうが、楽曲の好みで選択する人にとっては、危なっかしいバンドだった。
事実僕は、好きな曲は大好きだが、そうでないものも多い。むしろソロになった布袋氏や氷室氏の曲のほうが好ましい曲が多い。
アーティストは、必ずしも聴き手の期待する方向に行ってくれるわけではない。これは仕方のないことだし、それを決めるのはアーティスト本人にだけしかできないことだ。
デビューした時のサザンや長渕氏、アイアンメイデンは大好きだった。でも彼らは僕の趣向など知る由もなく、いや知っていたにしても関係ないわけだし、それよりも何万倍も多くの新しいファンを獲得していく方がいいに決まっているのだから、僕は置いてけぼりを食った。
逆に自分に近づいてくれるアーティストもいる。キャロルは自分にとって縁遠い存在だったが、ソロになった矢沢氏の世界観はモロにハマってしまったし、Charやユニコーンも寄ってきてくれた。
人それぞれの好みだから、これだけはどうしようもない。世の中のランキングと自分がズレていることを何度も実感しながら、それはそれでいいのかもしれない、と妙に納得する狂この頃なのであった。
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