神々の時代、「都」はどこにあったのか・・・シリーズ04
神話が創作であるかどうかは置いといて、神武天皇の墓「神武天皇稜」は奈良県橿原市とされていますが、45歳の時にいわゆる「東征」にでかけ、もうひとつの「天孫降臨」のニギハヤヒ(ニニギの兄であるという一説も)を討ちに行くまでは高千穂にいたとされています。
つまり、「東征」以前、当時の「王」が神武だとすると、王国は宮崎県にあったことになります。
さて、「東征」以降、歴代の天皇は奈良県に皇居を構えるわけですが、それ以前はどうだったんでしょうか。
まず神武の父、ウガヤフキアエズのお墓「吾平山上陵」は鹿児島県鹿屋市に治定されてます。ボクも二度ほど行ったことがありますが、とても厳粛な雰囲気があります。
さらにその父、ホオリ(別名山幸彦)のお墓「高屋山上陵」は鹿児島県霧島市と治定されてます。そのまた父のニニギ(天孫降臨)のお墓「可愛山陵」は鹿児島県薩摩川内市に治定されてます。
「記紀」によれば、天孫降臨以来179万2477年にわたって南九州が「お国」だったというわけです。
さてちょいと豆情報ですが、「高屋山上陵」と「可愛山陵」は、偶然にも「緯線」が完全に一致しています。さらに「吾平山上陵」は神武が東征時に発ったとされる高千穂の峰と、今度は「経線」が一致しているんです。

「記紀」を信用するならば、当時(神々の時代)の「都」はこの地図内のどこかであることは間違いないんじゃないのかな、と思うわけです。
さらに地形からして薩摩半島は考えにくいし、当時の先進国があった朝鮮半島との国交を考えると東側も考えにくいな、と思うわけです。さらに霊峰「霧島」を信仰の対象としていたとすれば、その麓に都を構えるのが自然だろう、とも思います。
次回以降、徐々に絞って行きたいと思います。

記紀編纂1300年に申し訳ないんですが、神話のウソを暴きたいな、と・・・シリーズ03
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