バイラルメディアはどう淘汰されていくのか
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最終更新日:2014/04/05
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最近、「抽出」がコンテンツになっているな、とつくづく感じています。以前からもありましたが、例えばフェイスブックで「○○したらシェア」なんてヤツとか、最近ならdout.jpのように「刺さる動画」を集めたサイトや、笑うメディアCuRAZYのようなCRAZYもの、動物もの、子供ものの動画を集めたものなど、コンテンツそのものは他力であるのだけど、これだけ情報が多く氾濫している世の中で「抽出」が困難である場合、十分に成立することを証明しています。
「バイラルメディア」というんだそうですが、現時点で30以上はあるようです。要は他力本願ではあるけども、「抽出」自体が労力ってことで言えばいわゆる「まとめサイト」なども同じでしょうかね。
色んなお店や新製品などを紹介するのも、基本的には同類でしょうが、そこに実際に使用したレビューなりのテキストがあれば、それ自体がコンテンツだったわけですが、これらはレビューすらもありません。
言い換えると「情報の氾濫」を逆手に取ったというか、ある意味必然的といえるかも知れません。もっと遡れば、電話帳だとか辞書なども「抽出」あるいは「まとめ」になるわけですから、別段不思議でもなんでもないですけどね。
たとえば最近のウエブサービスで、スマホアプリとしても人気のある「antenna」や「Gunosy」なども、言ってみれば「抽出」サービスですね。
人気があるということは需要がある、ということなわけですから、今後はこういう考え方に拍車がかかるんでしょう。当分はアイデアの勝負が続くんでしょうけど、淘汰も早い気がします。一時期のSNS乱立に似てる気もしないでもないというか・・・。
一方でテレビやラジオをつけっ放しにして、流れてきたものをただなんとなく受け入れるという従来のカウチポテト的欲求も依然として多いのかな、とも思うのです。
ボクも番組でときどき抽出したネタを使う場合もありますが、基本的には後者スタイルなのかなと思います。ただ、前者、後者ともに言えるのは、このブログでも何度か書いているような「情報の自己収集・自己判断」という意味ではとても危惧すべき事象だな、とも思うわけです。
人は何もかも他人任せにしてしまい、それが心地よく、楽チンなのです。飢餓や戦争などの対岸の火事と捕らえていることはもちろん、政治や子育て、国防など自分に密接な問題すらも「任せてあるから大丈夫、けして無関心じゃないよ」的な風潮が蔓延していると思うわけです。
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