邪馬台国は都城?

公開日: : 最終更新日:2014/04/09 謎を追え!, 都城愛

 象形文字
 ボクらが歴史の時間に習ったのは、いわゆる畿内説というヤツで、奈良県を指してます。でも最近では、畿内VS九州という議論が常識的で、つい先日も邪馬台国徹底検証第2弾!シンポジウム「卑弥呼は九州にいた!?」と題して福岡県庁がイベントを主催してるくらいなんすね。
 実際、従来の畿内説に対して、次に多いのが福岡説で、次が熊本説、大分説、そしてわが宮崎県説、と続いているんですな。勿論、少数意見もありまして、北は石川県説から南は沖縄県説、さらにはエジプト説やらジャワ・スマトラ説まであります。
 宮崎説の次に多いのが鹿児島説なんですけども、中身は曽於説や大隈説なので、南九州説と言ってもいいかも知れませんけどね。
 実は、数年前に都城説を唱える人に会ったことがありまして、その方の論文、というかレポートを読ませてもらったときには、結構背筋がゾッとするような事実もありまして。ま、それにはあえて触れずにおきますけども。
 邪馬台国がどうこうという以前に、いわゆる天孫降臨はどこか?ってハナシの方はほぼ高千穂の峰で決着が付いてるみたいですね。で、その高千穂の峰なんですけどもね、熊本、鹿児島、宮崎と、3県から見れるわけですけど、そのたたずまいはそれぞれ違うわけですよ。
 象形文字で言うところの「山」と言う図柄、まさしくそれを表現しているのは、わが都城から見た霧島だけなんですよ、知ってました?みなさん!
 天孫降臨の地というのは、いわずもがな「天皇家のふるさと」を指しているわけですが、そこで都城の方言に目を向けてみます。
 例えば「またぐわんそ」とよく言いますよね。これは「また、都合あわせ申し候」が変化したものなんですけど、いわゆる「方言」というよりも、「公家言葉」なんですな。つまり、朝廷があった、またはその流れの人達が住んでいたことを意味してるわけですよ。
 高千穂の峯を囲む地域の中で、方言が公家言葉から派生しているのは、都城だけだと思われます。それも、269号線で言えば山之口から今町あたりまで。しかも、どちらも昔は「関所」があったそうですぜ、ダンナ!

関連記事

no image

バチカンも認めた2012?

  都城界隈にキリスト教信者がどれくらいいらっしゃるかわかりませんが、聖母マリア様が出現し

記事を読む

210727image001

某公民館疑惑vol.2

 先日の記事(某公民館疑惑vol.1)を調査すべく、さっそく都城市役所の生活安全課へ出向きました。C

記事を読む

no image

■もう野菜も果物も食べられなくなる・・・?

   石破茂農水相は3日の閣議後記者会見で、ミツバチの減少が世界的な問題となっていることに

記事を読む

img_0

アイデアなんていくらでも出てくるわけですが何か?

 都城市の「平成26年度当初予算 特色のある主な事業」の中に、「骨髄移植ドナー支援事業」というのがあ

記事を読む

13357260705_3549236ec0_o

日本の「都」はどこか、シリーズ06

 神武以前、都はどこにあったかを検証しています。前回までで、「小林市」「霧島市」「えびの市」「都城市

記事を読む

13295609374_299ebe5b8a_o

日本の創世記、都はどこだったかシリーズ05

 連日紀元前後の日本について書いてますが、ここで一旦おさらいします。 「記紀」に書かれている日

記事を読む

13382912473_4eaa9c7cc8_o

日本の「元祖・都」シリーズ07

 私たちは小学校の歴史で「大和朝廷」を学んでいますが、卑弥呼が死去し一定期間の内乱を過ぎた3世紀以降

記事を読む

no image

■テレビに出ます!

突然ですが、宣伝です。9/20(日)、午後3:30からのMRTテレビの「Power Age~宮崎音

記事を読む

no image

日向ってドコ?

「日向」ってどこなんだろ? 神武東征においては、日向→豊国→阿岐国→吉備国と、地名を謳っていま

記事を読む

no image

都城の顔とは。

 長文ですよー。  昨日は音楽祭事務局で行われた中心市街地活性化意見交換会をたまたま見学することに

記事を読む

Comment

  1. waioi_comment_post より:

    しゅんちゃん
    2009/03/05 23:47
    なかなか興味深いものですね。
    「関所」があったというのは知っていましたが、邪馬台国の「都城説」があるとは知らなかったです
    himazaru
    2009/03/06 01:56
    スゲー(◎o◯;)

    かっちょいぃ。
    超勉強になりましたm(__)m
    拙者都城についてもっと知らなきゃです。
    狂咲 狂
    2009/03/07 00:24
    >しゃんちゃんさん、GUEVACHEさん
     もっとも、研究者の間では邪馬台国ではなく、朝廷が遷都していった過程の中に都城があった、という見解が多いみたいですけどねぇ。

  2. 高木豊博 より:

    邪馬台国が都城という説には賛成ですし、私もそう結論づけています。2年前に作った荒原稿があります。もし興味あればご連絡下さい。メール便で送ります。このサイトを今日見つけたばかりです。それまで知りませんでしたので、ご連絡が遅れたことをお詫びします。まだ見てありますかね。

    • 狂咲 狂 より:

      すみません、一年も放置してしまいました。
      とりあえずメールしてみます。

      • 高木豊博 より:

        申し訳ありません。1年前のPCはもう使っていませんので、メールアドレスが変わっています。昔のPCを見てみます。所で、今月末に邪馬台国都城説とでも呼ぶのでしょうが、私なりにまとめた本を出版します。今年になり、本として出版してみようと決意しました。題名は「邪馬台国の夜明け」で東京図書出版から出します。定価は2,200円+税です。この本の内容は、全ての項目にわたり、新視点からのもので、きちんと検証しています。ぜひご覧下さい。旅程は勿論、船、卑弥呼、その方の墓、天の岩戸などなど、ビックリされる内容だと思います。

Message

メールアドレスが公開されることはありません。

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong>

This blog is kept spam free by WP-SpamFree.


follow us in feedly
PAGE TOP ↑